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私のゴルフスクール体験②|100切りからベスト85へ、ショートゲームを磨いた7年間

ゴルフ
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前回の記事では、46歳でゴルフを始め、ゴルフスクールに入校してから2年半、初ラウンド142だった私が、2008年7月19日に初めて100を切るまでを書きました。

前回の記事「私のゴルフスクール体験」

100切りを達成したときのスコアは95。

ドライバーが安定し、ショートゲームも良かったことが、当時のGDOのスコア履歴にも残っています。

そして100切りを達成した翌週、先生から言われたのが、

「よかったね。これからはショートゲーム中心に練習しよう」

という言葉でした。

ここから私のゴルフは、少しずつ変わっていきます。

飛距離を伸ばすことよりも、30ヤード、50ヤード、100ヤードを確実に打つこと。そしてパットの距離感を磨くこと。

それが、その後の私のゴルフの土台になっていきました。

100切り後、ショートゲーム中心の練習へ

100切りを経験した後、スクールでの練習内容も変わっていきました。

それまでは、レッスンの最初の指導では7番アイアン、2回目の指導ではドライバーやフェアウェイウッドというように、スイング全体を作っていくことが中心でした。

ところが100切り後は、かなり実践的な内容になりました。

最初の指導ではAWを使って、

  • 30ヤード
  • 50ヤード
  • 100ヤード

と距離を変えて打ち分ける。

2回目の指導では100ヤードを繰り返し打って、方向性を確認する。

そしてスクール全体で行われるグリーン周りのアプローチやバンカーショットの練習にも、積極的に参加しました。

レッスンの最後の数分になって、ようやくドライバーやFWを振って終わる。

そんなスタイルです。

今振り返ってみると、これは私にとってかなり合っていたのだと思います。

90台に定着し始め、練習もさらに実戦的に

100切りを達成した後も、毎回100を切れたわけではありません。

100前後を行ったり来たり。

そんな時期が続きました。

しかし、2009年7月18日、ラフォーレ白河ゴルフコースで92を出してから、徐々に90台でラウンドできることが増えていきました。

そこでスクールでの練習も、さらに実際のラウンドを意識したものになっていきます。

当時、ホームコースにしていたのがアイランドゴルフリゾート那須です。

そこで、

「ルーティンをしてからティーショットはドライバー」

「ナイスショットだったら、次はフェアウェイから7番アイアン」

というように、実際のラウンドを想定して練習しました。

傾斜板を借りて、前下がりや左足下がりを想定したショットを練習することもありました。

そしてグリーンに乗ったと想定したら、練習席の後ろの通路を使ってパット練習。

単にボールを打つのではなく、

「コースに出たらどうするか」

を考えながら練習するようになっていったのです。

ゴルフのために、普段の生活でも体を鍛えた

私はもともとスポーツをしていたわけではありません。

体力的にも普通だったと思います。

だからこそ、ゴルフを続けていくためには体を作ることも大切だと考えていました。

平日は通勤に電車を利用していましたが、空席があっても座らず、つま先立ちでできるだけ手すりにつかまらないようにしていました。

最寄り駅から自宅までも、バスには乗らず速足で歩く。

そして入浴後には、

  • スクワット
  • 体幹トレーニング
  • ストレッチ
  • パッティング練習

を続けました。

特にパットは、自宅にパット練習器を置いて、2mの距離を繰り返し練習。

「10回連続して入らなければ寝られない」

などという、今考えるとかなり厳しいルールを自分で作ったこともあります。

このパット練習器は、なんと今でも使っています。

20年近く前に始めた練習が、現在のゴルフにもつながっているわけです。

宿泊ゴルフを楽しみながら、翌週に先生と振り返る

3連休などになると、数か月前から予約していたゴルフ場へ宿泊ゴルフに出かけました。

そして翌週のスクールでは、ラウンドの内容を先生に報告します。

「ここでミスしました」

「この距離がうまく打てませんでした」

「パットの距離感が合いませんでした」

そうした内容を先生に伝えると、次の練習課題が決まります。

つまり、

ラウンド → 反省 → レッスン → 練習 → 次のラウンド

というサイクルです。

今振り返ると、この繰り返しが私のゴルフを少しずつ上達させてくれたのだと思います。

2020年8月、兄とのラウンドでFW5番がグリーンを捉えた

2010年8月には、兄と一緒に廣済堂埼玉GCへ行きました。

現在のザ・ナショナルカントリー倶楽部です。

このゴルフ場は、私が習っていた先生もかつて試合でプレーしたことがあると聞いていたコースでした。

このラウンドで、今でも鮮明に覚えているホールがあります。

INコース9番、202ヤードのパー3。

打ち下ろしとはいえ、私にとってはかなり長い距離です。

そこで5番フェアウェイウッドを持ちました。

「届かないかもしれないな」

と思いながら打ったところ、ボールはしっかりグリーンへ。

なんとワンオンです。

「これはバーディーもあるかもしれない」

そう思ったのですが……。

結果は3パットのボギー。

コウライグリーンの逆目にやられました。

今でも、このときの悔しさは覚えています。

翌週のレッスンで先生にこの話をすると、

「そうなのよ。あそこはグリーン芝がコウライだから、私もてこずったわよ」

と笑っていました。

技術的なことだけでなく、実際にそのコースでプレーした経験がある先生だったからこそ出てくる言葉でした。

2010年12月、初めて90を出した

2010年12月には、仕事でお世話になった方々と鴨川カントリークラブへ宿泊ゴルフに行きました。

当時は車を持っていなかったので、元上司の車に乗せてもらってのラウンドです。

このラウンドは、GDOのスコア履歴にも残っています。

スコアは、

90(前半46・後半44)

パットは36。

コメントには、

「ティーショットが安定。難しいグリーンながら、パットの距離感が合っていた。」

と残っていました。

これが、私にとって初めての90です。

この日は仕事でお世話になった方々に私から声をかけて実現した宿泊ゴルフでした。

いつもの個人的なラウンドとは違い、周囲への目配りや気配りをしながらプレーしていたことが、集中力を保つことにつながったのかもしれません。

いずれにしても、

「90が出せるなら、80台も出せるのではないか」

という意識が、このころから少しずつ芽生えていきました。

2011年3月11日、ゴルフ場で東日本大震災を経験

2011年3月11日。

この日は仕事仲間が開催したゴルフコンペに参加しました。

千葉県のゴルフ場です。

私は自宅に比較的近い仕事仲間の車に乗せてもらい、アクアラインを通ってゴルフ場へ向かいました。

コンペは予定どおりスタート。

ところがラウンド中、17番ホールでグリーンを狙うショットをしようとしていたとき、突然、地面が大きく揺れました。

とりあえず、そのホールはパットまで終えました。

そして最終ホールのティーグラウンド。

当時持っていたガラケーの地デジでニュースを確認すると、そこには津波の映像が映っていました。

すぐにプレーを中止し、クラブハウスへ戻りました。

その後はアクアラインも使えず、大渋滞。

途中、市原付近ではコンビナートの大きな火災も目にしました。

都内を抜けたのは、日付が変わってから。

横浜の自宅に戻ったのは、翌朝7時ごろでした。

そして、その日は土曜日。

いつものゴルフスクールの日です。

一応スクールに電話をすると、その日は休校とのことでした。

翌週からスクールが限定的に再開されましたが、練習場は施設改修の関係もあり、ボールを遠くまで飛ばせないように目の前にネットが張られていました。

そこで先生が言ったのです。

「こういうときこそ、パットとアプローチの練習よ」

練習場が使えない1か月、ひたすらアプローチとパット

それから練習場が通常どおり使えるようになるまでの約1か月、スクールではアプローチとパットを中心に練習しました。

ときにはバンカーも。

結果的に、スクールとして4回ほど、ひたすらショートゲームの練習をすることになりました。

振り返ってみると、これは私にとって貴重な時間でした。

ドライバーを思い切り振ることができない。

だからこそ、

アプローチとパットに集中する。

この経験は、その後の私のゴルフにも大きく影響したと思います。

先生が変わり、ゴルフスクールを続けるか迷った

その年の終わりに、それまで教えていただいた先生がスクールを退くことになりました。

私にとっては大きな出来事でした。

妻とも相談しました。

新しい先生に変わってスクールを続けるか、それとも辞めるか。

結局、

「とりあえず続けてみて、合わなければ辞めればいい」

ということで、新しい先生のもとでもスクールを続けることにしました。

新しい先生は、より技術的な指導をしてくれる方でした。

もっと力強いボールを打つために、

  • テイクバック時の手首の角度
  • スイング軌道
  • フォロースルー
  • ヘッドの持っていき方
  • 腕の畳み方

など、細かく指導してくれました。

それによって一定の効果はありました。

ただ、私の場合は問題もありました。

コースに出ると、教わったことを再現できないのです。

そして、そんなときに頭に浮かぶのは、以前の先生の言葉でした。

「ゆったり振って」

「こう、だから、こう」

「練習でできないことはコースでできるわけないから」

結局、私にとっては、最初の先生の教え方のほうが体に合っていたのだと思います。

ホームコースで1日目と2日目を比較するようになった

そして、もう一つ大きかったのが、アイランドゴルフリゾート那須をホームコースにして、宿泊ゴルフを繰り返すようになったことです。

3連休などがあれば、1泊2ラウンド。

1日目にプレーして、

「ここはこうだった」

「この距離はこうすればよかった」

と反省する。

そして2日目に、もう一度同じような状況で試してみる。

つまり、自分たちで、

1日目のラウンドを2日目のラウンドに生かす

ということを自然にやるようになりました。

これは私にとって、非常に良い練習環境だったと思います。

2013年5月、ついにベストスコア85

そして2013年5月のゴールデンウィーク。

ホームコースだったアイランドゴルフリゾート那須で宿泊ゴルフをしていました。

2日目は混雑を避けるため、いつも以上に早い時間にスタート。

前半のEastコースは、

41。

ここまでは非常に良い流れでした。

そしてクラブハウスに戻ってきたのが、スタートから2時間もかからないくらい。

そこで私はスタッフに、

「このままスループレーにできませんか?」

と相談してみました。

すると、OK。

そのまま後半のSouthコースへ向かいました。

スループレーが、私のベスト85につながった

後半も、非常にスムーズにプレーできました。

昼食休憩を挟まないので、リズムが途切れません。

そして前半の好調さをそのまま維持。

後半は、

44。

結果は、

85(41・44)

パットは34。

これが私のベストスコアです。

ついに90を切ることができました。

そして、この85というスコアには、技術だけではなく、その日のラウンド環境も大きく関係していたと思っています。

私は普段、宿泊ゴルフの昼食で生ビールを飲むのが楽しみでした。

ところが、この日はスループレー。

昼食も、生ビールも後回しです。

それが結果的に、後半の集中力を維持することにつながったのかもしれません。

ラウンド終了後、スタッフから、

「昼食をとったら、ハーフ追加できますよ」

と言われました。

でも、断りました。

もう十分です。

85というスコアを出した余韻を、そのまま味わいたかった。

そしてラウンド後の昼食。

そこで飲んだ生ビールの美味しさは、今でも忘れられません。

その後も80台を安定して出せたわけではなかった

85を出したことで、

「これで80台が普通になるかもしれない」

そんな期待もありました。

しかし、現実はそう簡単ではありませんでした。

90前半が多く、ときどき89や88が出る。

でも、いつも80台というわけではありません。

ここが、私にとって一つの壁だったのだと思います。

今振り返れば、85というスコアを出せたことと、80台を安定して出せることは、まったく別のことでした。

2013年11月、ゴルフスクールを退校

その後も新しい先生のもとで練習を続け、2013年11月までスクールに通いました。

そして、そこでスクールを辞めることにしました。

直接的なきっかけは、それまで教えていただいた先生が辞められたことです。

新しい先生にも一生懸命指導していただきました。

技術的にも細かいことを教えていただき、一定の効果はありました。

ただ、私自身が、

「この先、このスクールに通い続けることで、さらにゴルフが上達するのだろうか」

と思うようになっていたのです。

そして、コースで自分が頼りにしていたのは、結局、最初の先生から教わったシンプルな言葉でした。

それなら、自分でラウンドしながら考えてみよう。

そんな気持ちもあったのだと思います。

スクールを辞めてからは、スコアより宿泊ゴルフを楽しむようになった

2013年11月にスクールを辞めた後も、ゴルフそのものを辞めたわけではありません。

むしろ、それから2019年ごろまでは、アイランドゴルフリゾート那須を中心に、宿泊ゴルフを楽しむことが多くなりました。

三連休があれば1泊2ラウンド。

妻と一緒にコースを回り、1日目を反省して、2日目にもう一度試してみる。

スコアを追求する気持ちがなくなったわけではありません。

それでも、以前ほど「何としてもスコアを出そう」という感じではなくなり、宿泊ゴルフそのものを楽しむようになっていきました。

そのころのスコアは、おおむね90台前半。

ときには88や89が出ることもありましたが、常に80台というところまでは届きませんでした。

コロナをきっかけに、しばらくゴルフから離れることに

2020年も、アイランドゴルフリゾート那須から名称が変わった那須陽光ゴルフクラブをホームコースとして、宿泊ゴルフを楽しむ予定でした。

ところが、新型コロナウイルスの影響で、その年に予定していた予約はすべてキャンセル。

さらに、その後浜松へ引っ越すことになり、私のゴルフ生活は一度、大きく途切れることになりました。

本コースでのラウンドもしばらくなくなりました。

ゴルフ場へ行く機会も減り、近所の練習場へたまに行く程度。

それでも、不思議なことに、ゴルフのために始めたスクワットや筋トレ、ストレッチだけは続いていました。

ゴルフから離れても、体づくりとパット練習は続いた

ゴルフをしていない期間も、入浴後のスクワットや筋トレ、ストレッチは習慣として残りました。

そして、自宅のパット練習器も残っています。

20年前にゴルフを始めたころ、

「2mを確実に入れられるようにしたい」

と思って購入したものです。

それを今でも使っています。

ゴルフをしていなかった期間があったとしても、私の中ではゴルフが完全になくなったわけではなかったのかもしれません。

久しぶりのシミュレーターでラウンドしたら97だった

そして最近、久しぶりにゴルフをする機会がありました。

サンダンスリゾート伊豆高原に宿泊した際、最新のゴルフシミュレーターが導入されていることを知りました。

使い方もよく分からないまま、コースを川奈ホテル富士コースに設定して1ラウンド。

結果は、

97。

実際のコースとは違い、

  • 傾斜の感覚
  • グリーンの状況
  • 実際の芝
  • ボールのライ

などがよく分からない中でのラウンドでした。

それでも久しぶりのラウンドで97。

自分としては、

「まずまずだったのかな」

と思っています。

ラウンド終了後のホールごとのスコアはスマートフォンで撮影して残しました。

今回は、18ホールのうち、3つのホールでパーを取ることができてます。

かつて85を出した頃のようなゴルフには、まだ遠いと思います。それでも「パーを取れるホールがある」ということは、これからの練習を続けていくうえで、ちょっとした自身になりました。

次回は、ホールごとのスコアだけでなく、より詳しいデータも記録してみようと思っています。

そして今、もう一度ゴルフを始めようとしている

暑さが少し落ち着いたら、近所の練習場に併設されているショートコースにも月1回程度通ってみるつもりです。

そして、そのうち兄や友人たちと本コースにも出たいと思っています。

46歳で始めたゴルフ。

最初のスコアは142でした。

そこからゴルフスクールに通い、2年半で100を切り、ハーフ39を出し、そして2013年にはベストスコア85。

その後、ゴルフから離れた期間を経て、今また少しずつゴルフを再開しようとしています。

100切り、90切りの次に目指すもの

ゴルフを始めたときには、まさか20年近く経った今でもゴルフを続けているとは思っていませんでした。

まして、46歳から始めた自分が、85というスコアを出せるとも思っていませんでした。

ただ、85を出したからといって、80台を安定して出せるようになったわけではありません。

そこには、まだ自分にとっての壁がありました。

だからこそ、今もう一度ゴルフをするなら、単に昔のスコアを追いかけるだけではなく、これまでの経験を振り返りながら、自分なりのゴルフを作っていきたいと思っています。

そして現在の目標は、

エージシュート。

もちろん簡単な目標ではありません。

今の自分がどこまでできるのかも分かりません。

だからこそ、まずはショートゲームを中心に練習し、ショートコースで実際にスコアを記録しながら、自分の弱点を一つずつ確認していきたいと思っています。

46歳で始めたときと同じように、まずはできることから。

練習でできないことは、コースでできるわけがない。

20年近く経った今でも、あの先生の言葉が残っています。

そして、今度はその言葉を自分自身に向けながら、もう一度ゴルフを楽しんでみようと思っています。

私のゴルフスクール体験|46歳の初心者が2年半で100切りできた理由
46歳でゴルフを始め、完全初心者からゴルフスクールへ。初ラウンド142だった私が、7番アイアン中心の練習から始め、ショートゲームを磨いて2年半で100切り。実際のスクール体験と上達の過程を紹介します。

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